2010年4月30日金曜日

宮崎あおい@ソラニン

ソラニンの歌詞・・
 たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
  きっと悪い種が芽を出して、もうさよならなんだ

 悪い種が芽を出して・・種田と芽衣子ってゴロあわせかな? (ソラニンって、じゃがいもの芽の毒のことらしい)
大学のサークルで「音楽で世界を変える」と息まいていた種田と同棲していた芽衣子。不慮の事故で種田を失った後、自らステージに立つ。バンドがらみの宮崎あおいを観たのはこれが三作目。  
 「NANA」の親友ハチ、「少年メリケンサック」のマネジャー、そして「ソラニン」で遂にギターを抱えロックを歌う。ひとなつこい屈託のない笑顔が落ち着ける。ナナとハチのすれ違いが切ない「NANA2」こそ出てほしかった。
 現在も将来も不安。自分達の人生が見えない。若い二人の葛藤をゆったりと丁寧に描く有名な漫画が原作。どちらかというとありきたりな素材に思えるが、種田と芽衣子を演じる二人の俳優の演技は惹きつけられる。揺れ動く二人の日常の言動、表情のひとこま、ひとこまが若い世代に共感を生んだ漫画なんだろう。
 種田って知り合いのミュージシャンとなんかダブる。プロになれないとしても、彼にはずっと歌っていてほしい。(ムーンライト・シルキー・ミラクルボイスとジェントリーヒーリングギター?)
 
 いまの時代、老いも若きも不安だらけだ。天変地異だの、金融恐慌だの、家庭崩壊だの、ほんの一瞬で何もかも失うことを知っている。これから何があるかわからない。身近にあるリストラや倒産、病気や介護に死、絶望と憎しみや哀しみ。ソラニン(毒)は、若者の夢を蝕む不安を意味するものなのか。 
 種田は夢をあきらめようとする。俺はそれでいい、仲間と音楽がやれれば幸せだといいきかせながら事故にあう。俺は本当に幸せかと迷ったまま。その迷いは誰のなかにもある。ひとは幸せになるために生まれてきた?それこそファンタジー。言えるとしたら、唯一無二の自分の運命を全うするためにそれぞれが生きている。
 養老孟司がなにかで宗教を語っていた。おおざっぱにいうと宗教こそ皆が信望すべきファンタジーであり、宗教者はそのために機能するべきだと。キリストや釈迦というスーパースターがいて、本来そのファンタジーで潤いをひとに与えるのが宗教者の役割だと。そして、それができていなくて、その代わりに人々は映画やアニメにカタルシスを求めている。芸術がひとにカタルシスを与えるためにはそこにリアリティがなくてはならない。そういうひとにぎりの才能を持つ表現者だけがプロになれるんだろう。

 ヒマラヤほどの消しゴムひとつ、CMで流れる宮崎あおいの歌声は明るく伸びやかだ。どんな役を演じても彼女には品性のようなものがある。「少年メリケンサック」でクドカンの臭みを浄化させるその資質だ。ギターも歌も一ヵ月の特訓でものにしたという。
 いつか、オリジナルを創って、弾き語りしたいと素直も思わせてくれる映画。それってファンタジーの力かな。

2010年4月17日土曜日

チェシャ猫 比治山 ワンダーランド

Alice in wonderland 大人になったアリスが赤の女王をやっつける映画だった。大人のアリスが可愛い必要はない。現実に向き合うひねた成人女性。しょうがない、これはジョニー・ディップのための映画。白の女王のアン・ハサウェイの、ヘンな女王ぷりもそれなりに魅力的だ。
 エンディングはアラニス・モリセット。好きだなあ、この声。と思ってたらエンドロールのクレジットはアヴリル・ラヴィーン。すっかり風格ある大人な表現力にまた感激。
チェシャ猫はこの猫の顔を横に伸ばしてニタリと笑わすと似てる感じ。冬と春を行き来する日々が続く。風が冷たいけど、陽射しはすっかり春の比治山。
※チェシャ猫 (The Cheshire Cat) - 英語の慣用句「チェシャーの猫の様ににやにや笑う」“grin like a Cheshire cat”を擬人化したキャラクター。この慣用句の語源にはいくつかの説があり、(1)酪農が盛んなチェシャー地方には有名なチェシャー・チーズをはじめとする酪農製品が豊富にあり、ミルクやクリームが好きな猫にとっては好物がたくさんあるからついニコニコするため (2)チェシャー・チーズに集まってくるネズミを捕まえてご満悦であるため (3)当地方の有力な一族の紋章のライオンが、笑う猫に似ていたため、などが挙げられる。

2010年4月8日木曜日

比治山 青空 桜散る陸軍墓地 0408

満開の時期を過ぎ、比治山の陸軍墓地の桜トンネルから、風もないのにさらさらと静かに花びらが舞い落ちる。ひとひらひとひらが真昼の強い陽光に照らされて、きらきらと心に落ちて行きました。

2010年4月4日日曜日

比治山 桜 満開 人出多くて猫消えた 0404

サクラとCherry blossomsは同じものなのか。
・・・あの花を「サクラ」と呼ぶ私たち日本人は散り際を最も愛する。桜の枝に風が吹き抜け、はらりと花弁がひるがえったとき、私たちは、その花びらを目を追わずにはいられない。・・・ところが、Cherry blossomsの語幹は、華やかで賑やかだ。手まりのような花をたわわにつけた豊満な枝振りが、累々と重なるイメージである。ここには風のドラマが入っていない。
もちろん、どちらも桜の情景には違いないが、散り際をイメージさせるサクラは軽やかで潔く、満開の枝振りをイメージさせるCherry blossomsは豊満で永遠だ。前者は旅立ちのイメージに似合うが、後者にはそれがない。

「日本語はなぜ美しいのか」 黒川伊保子 ・・・ 第三章 母語形成と母語喪失より抜粋m(__)m

2010年4月3日土曜日

猫カフェ まねき猫@横川 

花冷えだけど、春の陽射しで店内はポカポカ。ごろにゃん(^^)

玉城ちはる さらさ カジル横川 さくらSAKUライヴ 0403

 さらさと玉城ちはるが、カジル横川のさくらSAKUライヴに登場。前半はさらさのステージ。晴れてるけど花冷えで風が冷たい。座ってると手がかじかむくらい。譜面台が風で倒れるし、楽譜が飛ぶし。でも、Machiko先生は途中から堂々のノースリーブ。風邪ひいてなければいいけど。
 相変わらず初々しいMCのやり取り(^^)オープニングの曲名はわからなかったけど、森川クンのベース弦とMachiko先生の高音域ハープのキレが鮮やかで楽しかった。外だけど音響が良くて、気持ちよい。さくらと卒業をテーマに丁寧な弦の響きを聴かせたあと、手拍子で沸く情熱大陸とハイビスカス。ハイビスカスは活動拠点のカジルのステージをモチーフにしたオリジナル。5月のフラワーフェスもここで花開く。
 玉城ちはる登場。さすが大御所。通行人を立ち止まらせ離さない。派手なピンクタイツの威力かもf^^;今日はショートステージで3曲。エミリーと阿佐ヶ谷の喫茶店の歌と前を向いてみんなでラララぁ
 玉城の声は良くとおって、まろやかだ。そして、とびきりの笑顔といつものユニバーサルアクションでグイグイ観客を惹きつける。今日は情念の玉城はお休み。情念の海に誘うシンカイノハモンが聴けなかったのが残念。まあ真昼のステージだからね。阿佐ヶ谷の喫茶店での忘れ物が心に残る。ずっしりとした手ごたえのある歌声でした(^^)/