2010年5月9日日曜日

シアーシャ・ローナン @ラブリーボーン

 「私は、スージー・サーモン。お魚みたいな名前でしょ。1973年12月6日、私は14歳で殺された。これは、私が天国に行ってからのお話」
 ボーイフレンドとの逢瀬にときめく14歳の少女が魔の手に落ちる。天国ではずっと14歳。そこでは少女が望むイマジネーションのままの世界が広がる。幻想的で美しい景観の彩りに包まれ、同年代の少女達と戯れる果てしない日々。天国の見晴し台に立つと、スージーを失った家族や友人の苦しみや哀しみ、崩壊していく家族の姿が見える。わたしはここにいるよ、と愛するひとたちへメッセージをおくるがままならない。そして殺人鬼は妹にまで触手を伸ばす。

 1月末に公開された「ラブリーボーン」。可愛らしいボーン。ボーンは少女の愛称ではなく骨のこと。殺されて「小さな骨になってしまった私」のことを天国の少女が語る。(原作ではバラバラにされてしまう)
 アリス・シーボルトの原作は全世界で1000万部のベストセラー。作者自らの痛ましい体験をモチーフに天国へ逝った少女の目で家族愛を描く。
 予告編で「わたしにも何かできるはず」と云っていたので、天国の主人公が周囲を助け犯人を懲らしめる映画かと思っていると何もできないで苦悩するのがもどかしい。犯人探しに奔走する父親、家族を捨てる母親、妹が恋人と愛し合い成長していくさまを、天国から見ているだけ。地上に降りて目の前で叫んでも、気づかれない。微かに空気を揺らし、さらに愛するものを追い詰めるだけだ。
 
 ボーイフレンドと成しえなかった愛する日々のなかに妹はいる。妹の成長は嬉しい。ただ妹はスージーには永遠に掴むことができない喜びを知り、愛し合う相手がいる。死者であることを嘆き哀しむスージー。
 妹は父を信じる気丈な娘に成長した。犯人の家に侵入し、危険を冒しながら証拠を掴む。犯人は逃走の道中で、新たなターゲットに声をかけたところで天罰を受ける。そして、スージーは、霊感の強い少女の身体を借りて、傷心のときを過ごすボーイフレンドとようやく向き合うことができる。
 
 陰惨な題材だが、シアーシャ・ローナンの愛らしい魅力と美しいCGに圧倒される。物語として主人公が直接悪を成敗するものではないのでそこには期待しないこと。焦点は家族愛・絆(わたしがいなくなった後に育った可愛い骨)。
 シアーシャ・ローナン(Saoirse Ronan [ˈsɪrʃə ˈroʊnən]、1994年4月12日)はアイルランド人。名のSaoirseはアイルランド・ゲール語で「自由」を意味するらしい。シアーシャの次回作は14歳の殺し屋役。ジャン・レノのニキータを越える作品になるかも。
 映画を観るときには水分を断つこと。ポップコーンとペプシのラージサイズ。祖母役のスーザン・サランドンが母親の家出のあと、さらに家をぐちゃぐちゃにするコミカルシーンのとき席を外せばよかった。あれが唯一のチャンスだったのに。トイレを我慢して物語やCGを落ち着いて鑑賞できなかったのが心残り(:_;)

1 件のコメント:

Roberto Reis さんのコメント...

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