2009年12月12日土曜日

上原ひろみ 日本ツアー 広島廿日市 1211

 2003年にアルバム「Another Mind」で世界デビューし、いまも世界を飛び回る上原ひろみ。初めて味わう感触の音楽だったことをおぼろに覚えてる。広島は一年ぶり。先週はニューヨークにいたらしい。
 18:40 相変わらず人がいない廿日市市役所前電停。今日は平日。開演の19時までに入るために会社を定時ダッシュ。タクシーでは渋滞にいらつき、紙屋町西から乗った路面はぎゅうぎゅう詰め。満員の宮島口行きの電車に揺られ45分。みんなはどうやって辿り着いたのだろう。さくらぴあではすでに長蛇の列ができている。ジャズのファンはみんな年齢層が高い。たまに音楽専攻ぽい会話してる学生やピアノに熱心そうな母娘連れが目にとまる。
  ステージにはグランドピアノが一台。開演前の静まりで、遅れてきた客のヒールの足音が会場に響き渡る。うつむいたままの猫背の上原ひろみ。手が動いた。速い、止まらない。練習曲ぽいけど、リンゴの皮むきみたいにずっと音が連なって、その皮が薄かったり、厚かったり、細かったり、太かったり、ともかく密度のある音の塊が途切れない。かつてアルバムを聴いて弾力ある感触と感じたのはこの立体感のある音色のようだ。
 イタリアの海のシシリアンブルー、ニューヨークのハイウェイと摩天楼、ホームタウンとなったスイスのベルンやポルトガルと、自身の体験をもとに世界旅行に誘ってくれる。青いイタリアの海を表現するにも、水面のさざ波を想起させると思ったら、突然、海深く潜り、そして次の瞬間には空高く舞い上がり島や船や海を見下ろす。
 上原ひろみは画家のタイプではなく、彫刻家で、建築家なんだろう。音の広がりと組み立て方、削り方、俯瞰する自在の視点がそれを物語る。そして子供のままの感性と感情の爆発。摩天楼のなかを走るハイウェイでの疾走感。モーター音や加速度の体感を擬音して、過ぎ去る風景描写を一台のピアノと全身を使い表現する。腰をうかせ、手を打ち、響板を叩き、踵を床に打つ。弦とハンマーに直に触れ、鍵盤だけでは出せない高低の音色でタンバリングする。随所にタン、ハン、アンと叫び、スキャットまで飛び出す。自由奔放な表現を支えるのは、天賦の才能と熟達したピアノさばきだ。打鍵の深さ、速さ、指の運びを曲ごとに完璧にコントロールする技量が驚愕のステージを生み出す。高いテンションのものから、柔らかで温かい音の膨らみも卒なく軽やかに紡ぎだす。
 大の食いしん坊だといい、世界の甘いものを食べ歩く。フランスのシュー・ア・ラ・クリマ(シュークリーム)を口にしたときの喜び。舌が甘さを感知し、ドーパミンがシナプスを伝う、そのひとつひとつが擬人化されはしゃぎだす。二部の最後はラスベガス三部作。ラスベガスのきらびやかな夜のショータイム、真昼の太陽、ギャンブラーの興奮と失望。スロットの擬音で会場とかけあうコールアンドレスポンス。作曲家としての能力もすごい。ジャズという表現ジャンルをこえたら、後世に残るバラードさえ生み出せそうだ。
 途中で10分の「調弦」休憩をはさみ、2時間半フルパワー。後半で演ったカノンでは、ただ綺麗にまとめるだけでなく、鋼線に細工をしてかすれた音色を練りこむような演出をしてくれる。派手な楽曲のあと、タオルで汗を拭きながら現れアンコール。最後の曲ですと、PLACE TO BE(自分の居場所)を演奏。カノンと同様にほっとするような、心地の良さがある。こういう上原ひろみもいい。かといって、彼女がそれで終わるわけがない。またジェットコースターが動き出す。ジャズフレーズをリフレインし、会場を沸かせ、手拍子が起こる。響板を叩き、床を踏み、跳びはねる。上原のパフォーマンスでさくらぴあホールのアラジー、アラバーも笑顔だ。ピアノとも会場とも一体となって感情を爆発させた上原ひろみ。高々と拳を振り上げてステージを去って行きました(^^)

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