村上春樹が群像の新人賞を取った作品「風の歌を聴け」をリアルタイムで読んだことがある。
大学の図書館でさらさらと群像のページめくると、小説の文中に「こんなかんじ」とTシャツのイラストが描かれていて、文章で表現すべき作家がこんな遊びをして文学賞を取れる時代なんだと驚いた。それが許される才能があったということ。そのまま、さらさらとした文体を流し読んだ。
それ以来、村上の作品は読んだことがない。ノルウェイの森は書店で、終わりの数頁だけ読んだ。いまどこにいるのと問われたワタナベが「僕はどこにいるんだろう」とつぶやくように答える。映画の最後のシーンになって、それを思いだした。もう人生の後半にいると、アイデンティティを問われても響かない。(て、嘘だけど)
死の匂いを纏う直子や奔放に生きる緑が持つそれぞれの危うさに、男はつねにうろたえるしかない。そして、自殺したキズキ、直子、ハツミの孤独はもちろん、誰しも他人を理解することはできない。
「人は等しく孤独で、人生は泥沼だ。
愛しても愛しても愛されなかったり
受け入れても受け入れても受け入れられなかったり
それが生きるということで、
命ある限り、誰もそこから逃れることはできない」 by 森絵都
男性を受け入れられない直子の身体はそのメタファとして描かれている。ワタナベは、宛てのない旅(喪失と再生)のさなかにいいる。
永沢がワタナベに「自分に同情するな」と言った。「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」と。
人間の品性の意味と捉えればわかる。「I'm not ok」(過度に内罰的なスタンス)でいることの罪を永沢が知っているから言える言葉だ。品性のある人間は、自分も相手も認めることができる。
(I'm ok and you're ok)
現在のメイク技術をもってしても、菊池の顔と肌を二十歳に見せられなかったのが厳しくて残念。演技は申し分ないが映像がそれを妨げ、痛々しい。その対比で松ケンはピチピチだったけどf^^;
夏から秋にかけての草原の緑の広がりと奥行き、二人を包み込む風の匂いや湿り具合の表現、雪化粧した山間の風景など映像美が素晴らしい。
ワタナベが泣き叫ぶシーンの荒れる日本海(兵庫県香住で撮影)は、山陰の冬そのままでした。
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