10周年ツアーの当日、秋晴れの鳥取砂丘で馬の背から海へ一気に駆け降りたという元気な平原。音楽だけでなく、高校までクラッシックバレエをやっていたり、バタフライが得意というだけあって意外に体力には自信があるようだ。
"Jupiter"モチーフのオープニングのストリングスが鳴り厳かに幕が開く。正しく鍛えられた声帯と共鳴腔から響く平原の歌唱が会場を包む。MCもなめらかでわたしのステージには静と動があると云い、次第に動へ誘導する。
ペンライトが揺れる"星つむぎの歌"でサビを一緒に歌わされると、歌いながらアイリッシュダンス(タップ)して、ボイパまで披露し、息が切れる様子もなく踊り続ける。果ては、自身が高二のときの文化祭でやった"Joyful,Joyful"(天使にラブソングを2)で、鳥取の聴衆になんと英語のcall and responseを求める強引さも見せる。
♪You down with G-O-D? vs. yeah,you know me ... everybody!
ロングドレスに着替え、レ・ミゼラブルでアン・ハサウェイが歌った"I dreamed a dream"を高らかに歌い上げる。ミュージカルではないので、アン・ハサウェイのような歌唱表現をするわけもないが、そのまえに平原は情感を歌に乗せないし乗せられない歌手なのかもしれない。歌そのものより、どうしても「技巧」を聴いてしまうのは、生身の彼女がそこにいないからだろう。
10年間、ひとの心に届く歌唱になっているか、苦しんできたという平原。いまの平原では自身の生身の情感を歌に表現しきれない。彼女が「共感してほしい」と聴衆に願っても、その硬質な歌唱がその願いを妨げる。それは、平原が抒情詩ではなく叙事詩の語り部だからだ。
だからこそ、平原は"Jupiter"のような荘厳な楽曲や、アンドレ・ギャニオンの"明日"のように静かに客観的に想いを伝える楽曲では比類ない独自の世界を築き、数多くのファンを魅了している。
最後の楽曲はもちろん"Jupiter"。"Jupiter"は誰より自分を知っている楽曲で、曲というよりひとつの人格として自分を支えてきたかけがいのないものと云う。逆に云えば、この10年間、"Jupiter"を超えられないままの自分でいるということだろう。
特色ある低音が印象的な平原だが、高音域でのミックスボイス、それに絡まるファルセットの共鳴は豊かで美しい。エンディングのロングトーンの重厚感と切れも圧倒的だ。

最前列のファンクラブメンバが立ち上がると、後列もじわじわと続き、それが観客席全てに波及する。平原のパフォーマンスも見事だったが、スタンディングオベイションを鳥取で観ること自体に驚き、感激してしまった。延々と続く拍手。それに応えて、手を振り感謝の意を表す平原。その後、アンコールステージの半ばでグッズ紹介が10分以上続いたので、正直それまでの感激が半減してしまったのが残念f^^;
序盤で歌った"Eternally"などは、平原の声の魅力を惹きだす数少ない楽曲だ。巧さは際立つが、その声を活かすオリジナル楽曲に恵まれないことも、平原の可能性を摘んでいる。
来年はミュージカルに挑戦する平原。いつの日か叙事詩から抒情詩へ、生身の自分を表現する歌い方を身に付けたとき、また新たな平原の魅力が開花するのだろう。